第12回アジア選手権INベトナム遠征日記
飛び石連休だったので有給取って4連休にしてベトナムへ遠征して来ました。今回のアジア選手権は「SUZUKI CUP」と名づけられていて会場前にはスズキのブースもありキャンギャルもいました。
※注意 試合内容ですが、応援がメインでメモを取りながら見たわけではないので(試合が終わってからホテルに帰り記憶から引っ張り出した)スコアが1点違うとか小さいミスはあるかもしれませんがほぼ正確だと思います。
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2003年9月20日(タイ戦)
11:15、ベトナム航空機で関空をベトナム・ホーチミンに向けて旅立つ予定が11:05に早まっている。「ラッキー、少しでも早く会場に着けるじゃん」と思ったが20分遅れて離陸。「なんじゃあ、定刻より遅いじゃん!」
飛行機に乗っている時間は5時間だったが時差が2時間あるためホーチミン着は14:30ぐらいに着きました(行きは2時間得をする感じです)。真っ先に飛行機を降り通路を通って入国審査、荷物(旗ポールと太鼓)がベルトコンベアーから出てくるのを待って速攻で空港を出た。すぐに現地のガイドを見つけたので「ホテルへすぐ連れてって」とお願いするも他にもガイドする人がいるという事で全員(10人)が揃ってバスが出発したのは15:20。おいおい!日本の試合まであと1時間40分しかねえぞ、飛行機を降りてダッシュした俺の苦労をどないしてくれるんや、と思ったが口にはしなかった(笑)。
16:00前にバスを降りてホテルへチェックイン。少しでも荷物を軽くして出かけようと思うがほとんどが応援道具。ほとんど軽くならない着替えだけ置いてホテルを出た(笑)。太鼓、旗ポール、横断幕・日の丸等の入ったスポーツバッグを両手に抱えタクに乗り込んだ。会場はタクシーに乗って10分ぐらい。ちなみにタク代は12000ドン(日本円で120円弱)。安い、安すぎる(爆)。会場に着くとダフ屋らしきオバチャンが「○△◇×☆◆・・・」と何やら言って来るが無視してチケット売り場へ。第1・2試合は15000ドン、第3・4試合は20000ドンのチケットを買って入場する入れ替え制システムのようだ。日本は第3試合17:00からだったので20000ドン(200円弱)を払って入場した。やっぱ安すぎる!。
会場へ入る。「小せぇ〜」。V1リーグ会場より狭いかもしれない。16:30近かったので日本とタイはもう練習をしていた。写真をパシャリ。会場は小さいのに客はガラガラ・・・。横断幕(イケイケワッショイ全日本)を貼る場所を探すが貼る場所は一箇所しかないと思われた。反対側のスタンド席前の通路の所(さきほどの写真でわかる・真正面)。移動しようとするが反対側に続く通路がない。わざわざ1度外に出てから体育館ぐるっと回り反対側の入り口から入らないといけなかった。全日本チームをなるべく長い時間見ていたいのに信じられないよ〜。でもしょうがない。1度外に出て反対側に回った。写真をパシャリ。パシャリ。横断幕を貼ろうとするがそこは各国の選手の控え席になっていた。これじゃあ貼っても前に選手が座ったら日本選手には見えないなあ。まわりには手伝ってくれそうな日本人もいないし、この日は横断幕貼るのをやめた。じゅあ後は日の丸を作ってと・・・、ん?上でプロペラが回っている、しかもプロペラ同士の間隔が狭い、天井が低い。ヤバイ、日の丸も駄目か?、と思うも一応最新の注意を払い振ってみる。しかし、ガリガリ〜!、ヤバイぞ、プロペラに当たった。係員(警棒をもった警官)が「ノー!ノー!」と言いながらこっちへ来る。ここは・・・しかたない、満面の笑みで「ソーリー、ソーリー」と言うと警官は何も言わず戻って行き、無事解決しました(ホントに解決していたのだろうか?(笑))。応援パターンはいつものリヴァーレ応援でやりました。
さて、やっと試合内容です(笑)。スタメンはセッター竹下テンさん、ライト高橋シンさん、センター鈴木ヒロさん・杉山スギさん、レフト佐々木レオさん・栗原コウさん、リベロ佐野リョウさん、リザーブは吉原トモさん、熊前チカさん、大村カナコさん、大山カナさん、木村サオリさん。(以降試合中のコートネームのさん付けは略)途中交代でレオに代わってチカが出ました(第3セットはそのままチカでいきました)。あとのリザーブ4名は出番なしでした。
第1セットたてつづけに日本のタッチネットで連続失点0−2、その後も中盤までタイチームにリードを許しました。出だし決まっていたのはヒロのビューティーブロード(死語?)のみ、これでは点差は縮まらない。タイチームはシンが不調とみるとサーブでシンを狙い撃ち。何度も乱された。テンは前後左右に動いて窮屈なトスばっかりさせられた。しかたないレフトオープンはレオもコウも決めきれない、シャットも食らった。後半はタイチームのスパイクミスが増えたおかげで何とか逆転、第1セットを取った。
しかし第2セットに入っても同じ展開。やはりシンがサーブで狙われカットがセッターに返らない。終盤まで3点差ぐらい負けていたがこのセットもやはり終盤タイチームにミスが増えてきてなんとか逆転出来たのでした。この日タイチームのサーブとスパイクは力強く日本より上でした。シンだけでなくレオ、コウも何度も手をはじかれていました。
第3セットは出だしテンのサーブでタイチームを崩し7−0と大量リード、しかしチャンスボールが返ってきて8連続得点と思われたライト側からのコウのストレートがサイドラインを割りアウトとなり連続得点は止まった。さらにこのセットは点差があったからか、テンがこれでもかとコウにトスを上げたがコウだけが決まらない状況が試合終了まで続いた。タイチームはこのセット序盤から大量リードを許したものの中盤少し追い上げた形になったが最後はやはり第1・2セットと同じくミス連発となった。日本チームは緒戦のタイを3−0のストレートで下した。この試合はタイチームがミスで自滅した形となりました。試合終了後ニッポンコールにテンさん、チカさん、シンさんたちが手を上げて応えてくれました(嬉)。
この日は大会開幕日だったので第3試合と第4試合の間に開会式がありました。選手がコートの袖で入場を待っているときスタンド席でこの大会に帯同している宝来マホがみんなの荷物を見張っていました。今まで僕は(車のCMではありませんが)「物より思い出」と思い、色んな光景を目に焼き付けることに専念し写真は撮らなかったのですが(去年の韓国遠征の写真は1枚もなし)、せっかく来ているのだから自分の記録は勿論、何人かにだけでもこの光景をプレゼントしたいなと思い今回は頑張りました。
まずはマホにお願いしてパシャリ。「普段はマーヴェ応援してます」とか「去年の韓国ではマホママがイケイケワッショイ横断幕を一緒に貼ってくれた」とか会話を交わしていると開会式が始まりそうになったので「頑張ってください」と言って席に戻りました。「これからも応援お願いします」だそうです。マーヴェファンのみんな、応援頑張ろうね。
入場が始まった。パシャリ。開会式が始まった。パシャリ。長〜い!。偉い人の挨拶が入れ替わり立ち替わりあり座っていてもケツが痛くなった。ようやく終わり第4試合のベトナムの試合を見るため(明日対戦するから偵察?)に日本の選手がスタンド席に上がってきた。大山カナ・木村サオリ組にお願いしてパシャリ。「カナさ〜ん、大村選手も久光ではカナと呼ばれているけどコートネームはどう区別してるの?」「木村さんのコートネームはサオリでいいの?」等などまたしても質問攻め。
カナ「キムと呼んでます」
サオリ「ちょっと〜(笑)!」
と二人は軽い漫才(?)を取り入れながら話をしてくれました。回答は「大村選手はカナコさんと呼んでいます。」「サオリです。」という事でした。隣に座っていたシンにお願いしてパシャリ。コート内では第4試合の両チームが練習をしていたのですがサーブ練習を始めたのでそろそろ始まるなと思い「思い出より物」づくりはここで終了しました。
バレー以外の話もたくさんあったのですが長すぎるので、とりあえずこのあたりで一日目は終わります。
2003年9月21日(ベトナム戦)
荷物が3つあるため治安の悪いベトナムでは荷物をほったらかしにしてトイレにも行けない。という事で会場に行くのは日本の試合前ぐらいにしてしまいました。一人旅の悲しいところですね。夜ご飯も一人で食べても美味しくないし・・・。やはりバレー観戦後の夜はバレサポ仲間でワイワイやりたいよなあ・・・。この日の日本の試合は第4試合で試合開始は20:00、遅せえよ(笑)!。って言っても仕方ないので18:00頃会場へ行った。会場へ着くと第3試合チャイニーズタイペイ対ニュージーランドの試合をしてました。ニュージーランドはデカイけど技術は・・・。もし春高の優勝チームとニュージーランドが戦ったらニュージーランドが負けてしまうんじゃないかと感じるぐらい弱かった。
えー昨日、書き忘れたのですがこの大会は8点・16点のテクニカルタイムアウトがありません。各チーム2回ずつのタイムアウトのみ。ラインズマンは足元に転がってきたボールを激しくボールレトリバーに蹴り渡しているし、ボールレトリバーは主審の笛が鳴ってもまだサーバーがサーブを打っていない間にサーバーの後ろにボールを転がしているし。大会運営が適当だなというイメージを受けました。一応主審・副審は国際審判員のようでしたが。ベトナムは水道水は飲めませんのでミネラルウォーターにお世話になりました。19:00過ぎ、ようやく日本選手が会場に現れアップ開始。写真をパシャリ。この日は前日と違って相手はホームのベトナム。会場に人がどんどん入ってくる。「よ〜し、一発かましとくか!。」日の丸を振る。すると場内大拍手。???意味がわからない。「この拍手は俺じゃないんじゃないか」と思いすぐ隣の右側のスタンド席を見るとベトナム人がみんなこっちを向いて笑顔で拍手してくれている。俺の後ろには壁しかないのでやっぱり俺だ。続けて太鼓使ってニッポンチャチャチャをやった。10回ぐらい繰り返して終了するとまたしても大拍手。この状況、いかがなものか(笑)。
この日は試合開始前に現地に住む日本人グループが6人が「日本の応援はここでいいのかな」と近くに寄ってきたのと、スタンド席の前の方に紙で出来た(マラソンとかでよく振っている)小さい日の丸の旗を2本発見した以外はほぼ皆ベトナム応援だった。第2セット終了後に話しかけられて分かったのだが、小さい日の丸を振っていたのは柳本監督の後輩で今ベトナムでバレーを教えているお兄さんだった。「VSUって何?」「この応援だけのためにわざわざ日本から来たの?」と色々聞かれました。「今日は応援頑張りましょうね」と励ましてくれた(笑)。
試合が始まった。第1セットスタメンは昨日と同じ。途中出場でチカ、カナ、カナコ。この日もトモ、サオリは出番なし。
序盤から日本が大量にリードする。しかし前日に見たベトナムの試合とはベトナム選手の集中力も歓声も大違い。第1セット、第2セットはベトナムの攻撃が決まると大歓声だった。中盤まではこの雰囲気に飲まれたか日本もミスが出て得点だけ見ると試合にはなっていたが終盤はベトナムのミス連発で自滅といった感じだった。もっともベトナムの得点源はセッターのツーだった(アタックではない。両手のトスで日本のコートの真ん中に落とす奇襲戦法(日本でもリヴァーレ板橋メグ選手がやるのを何度か見ていますが・・)、しかし5本以上決められた。多すぎ)。今後中国や韓国が、ここぞの場面で使ってくるのではないでしょうか。
一応日本が2セット連取。しかし、第3セット・・・。
会場は、「もうそりゃあ大騒ぎさ(byタモリ)」状態。ホームアドバンテージ、ホームタウンデシジョン、本当にすごかった。分かりやすく言えばサッカープレミアリーグのゴール裏。スパイク等が決まれば「イエース!」第3セットは地鳴りがするぐらいの大歓声。サーブ打つときは審判の笛が聞こえないぐらいの「GO!GO!GO!GO!」。第3セットはついにパクられました。「ベトナムチャチャチャ」までやり始めました。おそらくベトナム社会主義共和国史上初の「ベトナムチャチャチャ」だった事でしょう(笑)。日本がピンチになり「ニッポンチャチャチャ」をやると「ベトナムチャチャチャ」応援を被せてくる。応援を被せてくるところなんて、まさに応援覚えたての証明(笑)。そんなこんなで・・・。
気がつけば試合も大接戦。ベトナムは終盤になってもミスが出ない。逆にミスする日本。ベトナムはレフトオープン、Aクイック、ブロードと何をやっても決まる。日本は引き離したいときにレオのサーブミス、途中出場のカナは打っても力ないスパイクを相手レシーバーの正面に打つだけ、レオのレフトからのクロスもベトナムレフトの正面をつき楽々レシーブされる・・・。このセット中盤で一人気を吐いたのはセンターカナコだけだった。終盤でベトナムに逆転されさらに23−24、最初のセットポイントを握られた。もの凄いベトナム押せ押せの雰囲気、隣の日本人が喋りかけてきても声が聞こえにくい状況なんて、きっとこの日記を読んでくれているみんなは想像出来ないと思う。コートの中にいる選手も選手同士の声が耳元で言わないと聞こえなかったと思う。バレーは流れのスポーツ、悔しいけどこのセットは取られると覚悟した。ところがベトナムがここでミス。24−24に追いついた。とりあえずホッとしたがここは一気に行かなくてはヤバイ。「ニッポンチャチャチャ」を始めるが2回目で「ベトナムチャチャチャ」を被せられてしまう(笑)。仕方ないか・・・。ここでサーバーのテンが何とサイドラインを割るサーブミス。再びピンチを迎えたがここで頑張ったのが前日にいい笑顔の写真を撮らせてくれた(←関係ないぞ(笑)!)シン。2度のセットポイントのピンチに耐えてシンが時間差、そしてレフトからのストレートを決めて31−29。辛勝でした。
試合終了後、ニッポンコールをするもすぐにベトナムチャチャチャにかき消され選手に応えてもらえなかった。
試合終了後、日の丸、ポール、太鼓等を片付けて着替えも済ませたが日本チームはクールダウンを終えた後コート内で長いミーティングをしていた。いつもなら試合終了後は応援道具片付けているあいだに選手は控え室に消えるもの。これは応援団として仕方ない事。しかしこの日は「思い出より物」作りが出来るチャンス。誰にしようかなと悩んだ末、この方にしました。パシャリ。
一緒に応援していた現地の日本人グループが日本チームのバス近くへ行きましょうと誘ってくれた。彼らはトモさんとツーショット撮っていた。僕はテンさんを待っていた。理由は伝言があったから。テンさんは最後にやって来た。「テンさ〜ん、写真撮らせて下さい」とお願いするも「ごめんなさい、バスがすぐに出るので」と・・・。フラれちゃいました。「なんだよ〜、昔の某マーヴェ選手と同じじゃんかあ」と思ったが、テンさんが最後に乗り込んだので10秒経たないうちにホントにバスが出た。「テンさん、ムッとしてゴメン・・・。またの機会にお願いします。」と思いながらバスを見送りました。その横で現地の日本人グループは大村カナコさんに「熊前さ〜ん」と声をかけていた。「オイオイ、頼むぜ・・・」。
2003年9月22日(チャイニーズタイペイ戦)
宿泊しているホテルの窓から写真をパシャリ。ホーチミンでは有名な繁華街ドンコイ通りに面したホテルでした。部屋は広いし風呂も広かった。ベトナムでもNHKが見られます(去年韓国ではNHK−BSが見れた)。プロ野球の結果も大相撲の結果もタイムリーで分かりました。ドンコイ通りをあるけば通行人の10人に1人はまず日本人、レストランに入っても日本人のオネーチャン2人組ばかり。ホテル近くでは余り外国という雰囲気はありませんでした。さて話をバレーへ・・・。
この日は会場に着くと第1試合のカザフスタン対フィリピンをやっていた。やがて第1試合終了。
10分後、第2試合の日本選手が出てくる前、ついにイケイケワッショイ横断幕を貼ることを決意。というのもこの日は日本の試合が第2試合だったので他のチームの選手の姿が余りなくて横断幕がコートから見える状態だったからです。係員(警官)に「横断幕を貼っていいか?」を確認するために横断幕を貼る真似をして「OK?」と聞くと反応がない。「え〜い、貼っちゃえ!」と思い貼り始めると警官が近づいてくる。何と一緒に貼ってくれるではないか。しかも3人も(笑)。もしかしたら貼る真似の「OK?」を「一緒に貼ってくれるか?」ととらえられたのかも。選手・スタッフが会場に入ってきた時にみなさんジッと見てくれていました(笑)。そしてアップ。写真をパシャリ。パシャリ。
第1セット、スタメンはセッターテン、ライトシン、センターヒロ・スギ、レフトカナ・コウ、リベロリョウでした。
この日もカットが返らない。特にリベロのリョウは足の長いエンドライン際のロブサーブには身長が低いので半身になって背伸びをするようにレシーブしていたので難しそうだった(3試合とも、このパターンで狙われていた)。単純な攻撃の繰り返しでも1セット目はなんとか取るものの第2セットに入ってもカットが返らず単調な攻撃。守備面では日本のブロックはワンチすら出来なくなっていた。第2セット途中までシーソーゲームだが終盤3点差をつけられた。センターをヒロからカナコに代えるがライトからの攻撃にやられすぎで流れは変わらず第2セットを落とした。
レフトのカナをチカに代えてのぞんだ第3セットは序盤からカナコのサービスエースなどで走るが、やはりスパイクが打っても打っても拾われる。第3セット途中までタイペイのスパイクレシーブは見事だった。しかし終盤から突然乱れ始める。日本はブロックでようやくタイペイのパターンを読んだかワンチが取れるようになり、スパイクもタイペイのレシーブを弾いて決まるようになった。最後はチカが決めて第3セットは25−21。流れは完全に日本。第4セット出だしから走れば勝ちだなと思った。第4セットは途中交代選手がそのまま、セッターテン、ライトシン、センターカナコ・スギ・レフトチカ・コウ、リベロリョウ。このセットもブロックワンチで切り返せる事が多く日本の攻撃回数が増え、当然日本に得点も入る。日本7−2リードでタイペイが1回目のタイムアウト。タイペイのスパイクが3連続ミスやスギのAが連続して決まり15−6でタイペイたまらず2回目のタイムアウト。圧勝で第4セットを取り日本は3連勝となりました。この日も試合終了後のニッポンコールにテンさん達が手を上げて応えてくれました(嬉)。
第2セットの所で、「ライトからの攻撃にやられすぎ」と書きましたが、これには日本のブロックシステムに理由があるようです。韓国や中国にはきっとデータを取られた事でしょう。ライト攻撃を受けるということは日本のレフト側のブロックが出来ていないという事。それは何故か。これはテンが前衛に居るときにおこるのですが、例えばタイペイのサーブ、日本がレシーブをして攻撃に入るときライト側にカナコ、真ん中にセッターテン、レフト側にコウがいたとします。コウのスパイクが決まれば問題はないのですが拾われた場合、相手のレフト側からのオープン攻撃をブロックしにいくのはカナコはもちろんなんですがテンは少し後ろに下がってコウが約8メートル移動してブロックをするのです。オープンならまだしもレフト側に並行トスが上がった日にはまず間に合いません。そうなるとコウは少しでも移動距離を短くするためどうしてもセンターよりでブロックの構えをしなくてはならない。すると相手チームは逆に、ブロッカーの居なくなったライト側に平行トスを上げるしブロードもしてくる。コウの相手のレフト側からの攻撃に備えるためにしている事が、逆に相手のライト側からの攻撃をフリーにしています。テンが前衛にいる間、日本はサーブなどで相手を崩して2段トスを上げさせるしか方法はないのでしょうか・・・。
試合終了後、会場の外で西村コーチや中村(旧姓河西・東洋の魔女)団長と目が合うと西村コーチからは「今日もありがとうございました」。中村団長からは「ワールドカップでも是非応援に来てください。お願いします。」と嬉しい言葉をいただきました。選手を待とうかと思いましたが結構雨が激しく降って来たので会場を後にしようと思い移動、しかし2試合目と3試合目の人の入れ替えで敷地内はごった返していて敷地からすぐに出れそうになかったので屋根の下で待っていました。すると昨日フラれたテンさんがヒロさんと一緒に出てきた。「テンさ〜ん、お疲れ様でした。僕はリーグ中はJTを応援していてJTの○○さんとは何回か話をしたことがあるけど、今回ホーチミンでテンさんに会ったら「頑張れ」と伝えてって言われてましたよ。」テンさんは満面の笑みで「はい。」テンさんとヒロさんに「ありがとうございました」とまたしても嬉しいお言葉をいただいたので「僕は今日の夜日本に帰るけど明日からも頑張ってね。」とお別れの挨拶をしました。昨日できなかった写真撮影をと思ったのですが雨が強かったので当然アタックしませんでした。選手に迷惑をかけたくないのがいつもまず大前提にあるのですがちょっと心残りでした(苦笑)。
この日はベトナムに住む日本人のお姉さん2人組(子供付き)に会場で言われました。「日本から来られたんですか?。え?、これだけのためにわざわざ?。」
3日間で4人の日本人に言われました。
「うるせぇー、これが俺の趣味じゃ」といつも心の中で叫んでいた管理人でした。
(03年09月23日)